時に、人との出会いは、人生を大きく変えることがある。
今ではすっかり定着した「推し活」という言葉。推しを応援し、その存在が生きがいとなる——それが推し活の本質だ。
中でも、アイドルという存在。年齢や人気や運などから、アーティストとして最も短命である職業だ。
私は、そんなアイドルを、人生で、一人、推していた時期がある。
彼女との出会い、推し続けた日々、そして卒業を見届けた瞬間——そのすべてが、私の人生にとってかけがえのないものだった。
今回は、そんな私の推し活の軌跡を、辿っていこうと思う。
卒業発表の瞬間
2018年10月13日。
X(旧:Twitter)を開くと、「夢眠ねむ」という文字がトレンド入りしていた。
当時の私にとって、最も大切な推しの名前だった。
頭が真っ白になったまま、指先でトレンドをクリックすると、とあるツイートが目に飛び込んできた。
彼女の、引退発表だった。

呆然としながらも、次第に悲しみがこみ上げ、涙が止まらなかった。
数時間前まで、美味しいビールを飲みながらフィッシュ&チップスを食べ、異国で穏やかな時間を過ごしていた。
突如としてそんな楽しい時間を忘れるくらいの衝撃で。
そうして、そのまま直ぐに全てを投げ出し、日本行きのチケットを取ったのは、今でもまだ記憶に新しい。
推しの卒業公演にだけは、必ず参加すると決めていたからだ。

アイドルは花火のように儚い——夢眠ねむを通じて、私はアイドルオタクとして、この教訓を得た。
彼女自身が「秋葉原では『卒業はおめでとう』ですからね」と語っていたことも理解していたし、自分の推しが卒業する時には笑顔で「おめでとう」と送り出すと心に決めていた。
だが、実際にはそんな余裕はなく、ただただ「寂しい」と思った。
それでも、「これはお別れのためではない。卒業をお祝いするための帰国だ」と自分に言い聞かせた。

人生を変えたアイドルとの出会い、2014年。
私がでんぱ組.incに出会ったのは、2014年5月4日。その日、偶然か必然か、私は横浜にいた。
「横浜開港記念みなと祭 ヨコハマ カワイイパーク J-Pop Culture Festival 2014」というフリーライブが開催されると知り、興味本位で足を運んだのだ。
当時、でんぱ組.incの楽曲はまったく知らなかったが、「無料なら見てみよう」という軽い気持ちで山下公園へ向かっていた。
イベントには高橋圭一、CERASUS VOCALIST WORKS、でんぱ組.inc、妄想キャリブレーション、ナチュラルポイント、ミラクルマーチ、HoneyHoney(メイドカフェ)、薬師るりといった出演者が名を連ねていた。
もともと私は2013年頃から「ROCK IN JAPAN FESTIVAL(ロッキン)」などのフェスに足繁く通っていた。
そんな2013年のロッキンで、でんぱ組.incの名前を初めて目にしていたが、その時は気にも留めてもいなかった。
しかし、そのアイドルグループの名前だけは覚えていた。そうして、小さな野外ステージで始まったライブを、後方から眺めていた。
1.サクラあっぱれーしょん
2.VANDALISM
3.でんぱれーどJAPAN
4.ファンシーほっぺ ウ・フ・フ
5.サクラあっぱれーしょん
セットリストはこの5曲。夕暮れ時、サイリウムの光が揺れる光景を今でも鮮明に覚えている。
どの曲も初めて聴いたが、激しい曲調とオタクのコール(掛け声)が印象的だった。
最初の感想は「目まぐるしいな」だった。アップテンポな楽曲が続き、正直、歌詞を聞き取る余裕はなかった。
「こういうアイドルなんだな」と客観的に見ていたが、3曲目のサビから、そして4曲目で完全に心を奪われた。
グリーン、パープル、レッドと続く歌詞に合わせ、ファンが同じ色のサイリウムを掲げていた。
「明るく、いつでも笑顔」——それが私の中のアイドル像だった。しかし、でんぱ組.incのライブはそれとは違っていた。
彼女たちはエネルギッシュで個性的だった。当時の彼女たちは、とにかく必死だった。それがパフォーマンスとして、心で、伝わってきたのだ。
そんな6人のメンバーの中で、目を引いたのは、緑の衣装をまとった子だった。
サイリウムなど何も持たず、ただ、棒立ちで見ていた私に目を合わせ、笑顔で手を振ってくれた。
彼女の名前は、「夢眠ねむ」。そこから数年間、私は彼女を人生で一番に推すことになる。
2018年/波乱のアイドル史を振り返る
ところで、夢眠ねむが卒業を発表した2018年は、女性アイドル界にとって波乱の一年だった。
年明け早々、私立恵比寿中学の廣田あいか(ぁぃぁぃ)が卒業を発表。
さらに、ももいろクローバーZの有安杏果は卒業発表からわずか5日後にグループを去るという異例の展開を迎えた。
そして、PASSPO☆やアイドルネッサンスといった当時のアイドルシーンを支えていたグループも次々に解散を発表した。
特に印象的だったのは、2018年9月22日から24日にかけての3日間。この短期間の間に、相次いで卒業発表が行われれていた。
さらに、当時私が感じていたのは、“緑色”のメンバーが卒業するケースが多かったことだった。
アイドルグループにはメンバーカラーが設定されていることが多く、戦隊ヒーローのように個々のメンバーが色を担当する。
ライブでは、推しのメンバーカラーのサイリウムを振るのが今では一般的となっているほどだ。
2018年に卒業した廣田あいか、有安杏果、今泉佑唯、西野七瀬——彼女たちは皆、グループ内で“緑色”を担当していた。
まるで、緑の時代が終わるかのような年だった、と思う。
私の推しである夢眠ねむも、ミントグリーン(緑)のメンバーカラーを背負っていた。
この流れの中で卒業を迎えることとなったのだ。
<2018年>
01/03 廣田あいか(私立恵比寿中学)卒業
01/21 有安杏果(ももいろクローバーZ)卒業
02/24 アイドルルネッサンス 解散
03/21 ぷちぱすぽ☆ 解散
03.31 GEM 解散
04/22 生駒里奈(乃木坂46)卒業
04/30 北原里英(NGT48)卒業
06/18 和田彩花(アンジュルム/ハロー!プロジェクト)卒業
07/31 Cheeky Parade 解散
08/02 チャオ ベッラ チンクエッティ 解散
09/22 PASSPO☆ 解散
09/23 ベボガ! 解散
09/24 ベイビーレイズJAPAN 解散
10/07 バニラビーンズ 解散
10/19 YUIMETAL(BABYMETAL)卒業
11/04 山本彩(NMB48)卒業
11/04 今泉佑唯(欅坂46)卒業
11/25 X21 解散
12/16 飯窪春菜(モーニング娘。’18)卒業
<2019年(2018年発表)>
01/07 夢眠ねむ(でんぱ組.iinc) 卒業
01/11 渡邉ひかる・宮崎理奈・溝手るか・浅川梨奈・内村莉彩(SUPER☆GiRLS)卒業
02/23 妄想キャリブレーション 解散
02/24 西野七瀬(乃木坂46)卒業
03/34 つりビット 解散
04/28 指原莉乃(HKT48)卒業
卒業、そして概念としての確立
卒業公演が迫る中、私は新宿のタワーレコードで開催されていた「nemuqn shop」へ足を運んだ。
そこには、夢眠ねむの集大成とも言える1stソロアルバム『夢眠時代』の衣装が展示されていた。

「アイドルになってくれてありがとう。ユメミストになって良かった。」
ファンとして長年思い続けていたことが、形として、文字として、目の前にあった。




届くはずのないメッセージも届け、そして迎えた卒業公演の日。会場は日本武道館、2日間のラストライブ。
もちろん、両日とも参戦した。そして夢眠ねむの卒業公演は、最終日の2019年1月7日だった。
外には、彼女の門出を祝うたくさんの花々が並んでいた。
その中でも、最上もが。
彼女からの花を見つけた瞬間、息が詰まり、涙が溢れた。










2017年8月6日、ROCK IN JAPAN 2017。
ひたちなかからの帰りの電車で、最上もがの引退を知らされ、号泣した日のことを今でも覚えている。
大好きなメンバーだったが、突然の発表で卒業公演はなく、その喪失感をずっと抱えていた。
この喪失感を埋めるかのように。今はいないメンバーも、その日「おめでとう」を伝えるために来たのだと実感した。

この武道館公演は、でんぱ組.incにとって3回目の武道館だった。
最初の武道館は2014年、私がでんぱ組.incに出会った日の2日後。そして2回目は2017年、最後は、自身の推しの卒業公演。
出会ってからの数年間、フェスやライブ、握手会やチェキ会、生誕祭と、数えきれないほどの現場に足を運んできた。

ライブは両日とも、涙なしでは見られなかった。
初めて“アイドルの卒業”という瞬間に立ち会ったが、その初めてが夢眠ねむで本当に良かったと思う。
彼女は、アイドルとして完璧だった。キャラクター、存在、そのすべてが「夢眠ねむ」という唯一無二の「作品」だった。
まるで、彼女自身の人生の卒業制作を目の前で見せられているような感覚だった。
そして、夢眠ねむはVOCALOID・夢眠ネムへと受け継がれ、彼女の声は”概念”となった。
もちろん、「寂しい」「悲しい」という気持ちはあった。
だが、最上もがのこともあったからこそ、推しの卒業ライブに立ち会えることの幸せを心から実感した。

そしてやはり、卒業は「おめでとう」だ――武道館全体がミントグリーンに染まる光景を目にしながら、そう強く思った。
卒業曲『evergreen』、そして『絢爛マイユース』を歌い上げる彼女の姿は、本当に美しく、胸に焼きついた。
WWD BESTと言う思い出
正直なところ、ライブ中、一曲ごとに何を考えていたのかは覚えていない。
ただひたすら涙が止まらなかった。ただ、今でも鮮明に覚えているのは、このライブの最後の瞬間だ。
リーダー・古川未鈴が「この7人で最後に歌う曲は――」と口にしたとき、私はすぐにそれが何を意味するのかを悟った。
瞬間、全身に鳥肌が立ち、その日一番の涙が溢れ出した。
そうして始まったのは、『WWD BEST』だった。
この曲が発表されたのは、まだ最上もがが卒業を発表する前のこと。
2016年末にリリースされたアルバム『WWDBEST 〜電波良好!〜』の収録曲であり、このアルバムを引っ提げたツアーも行われた。
『WWD BEST』は、当時の、6人の、でんぱ組.incを総括するような楽曲だった。
衣装は過去のMVで使用されたもの、映像もこれまでのMVとリンクし、ダンスも歴代の振付が散りばめられていた。
そしてこのアルバムを携えたツアーは、2017年1月20日の日本武道館へと続く。
私もそのライブに足を運んでいたが、強く印象に残っているのは、6人全員が涙を流していたことだった。
『WWD BEST』が流れる中で、「もしかすると、このまま でんぱ組.incは解散してしまうのではないか」という不安が頭をよぎったことを、今でも覚えている。
「ヘタクソばっかの六重奏 ずっと ずっと ずっと」
このフレーズの通り、当時のでんぱ組.incは、古川未鈴・相沢梨紗・夢眠ねむ・成瀬瑛美・最上もが・藤咲彩音の6人で完成されていた。
6人以外の形は想像もできなかった。しかし、その夏、最上もがの卒業によって、その“6人のでんぱ組.inc”は終わりを迎えた。
そして『WWD BEST』も、最上もがの卒業を機に封印されることとなる。
私は「もう二度とライブで聴くことはできないのだろう」と思っていた。
しかし、その曲が、夢眠ねむの卒業公演で一夜限りの復活を果たしたのだ。
まるで夢のような時間だった。
「WWD BEST」のイントロが流れた瞬間、会場中に悲鳴のような歓声が響き渡った。
ある人は驚きのあまり腰を抜かし、ある人はタオルで溢れる涙を必死に拭っていた。
客席のあちらこちらに、引退した最上もがのカラーである紫色のサイリウムが静かに灯っていたのも覚えている。
今、この文章を書きながらさえ、あのときの感情が鮮明に蘇り、視界が滲むほどだ。
卒業、それは未来へと繋がって
夢眠ねむがでんぱ組.incを卒業し、時は流れて令和3年(2021年)、彼女は本屋を開業した。
その名も「夢眠書店」——これからの本好きを育てる、特別な書店である。
古民家をリノベーションした店内は、ゆったりとした時間が流れる穏やかな空間。
キッズスペースも完備されており、小さな子どもを連れた家族でも安心して訪れることができる。






そして、店のカウンターには、夢眠ねむの姉であり料理人のmaaさんが手がける温かい食事が並ぶ。
この空間に詰まっているのは、本、そして空間への愛情とこだわり。
本棚には美しく並んだ書籍が揃い、蔵書スペースも充実している。
キッズ向けのおもちゃが置かれたスペースもあり、大人も子どもも楽しめる場所だ。




夢眠ねむを知っている人も、そうでない人も、誰もが平等に本と向き合い、心地よい時間を過ごせる——そんな特別な空間。
何度でも足を運びたくなる温もりが、そこにはあった。
なお、夢眠書店の住所は非公開だ。訪れるには予約が必要で、予約者のみに詳細が知らされる“秘密の書店”である。
また、店舗に足を運べない人のために、時折オンライン通販や、イベントなども実施されているのでチェックが必要だ。
私が夢眠書店を訪れた日は、緊張してあまり話すことができなかった。
でも、アイドルではない夢眠ねむの姿を見ることが、新しい一歩を踏み出した彼女を見れたことが、とても新鮮だった。
そして改めて、彼女の芯の強さに惹かれているのだと実感した。
まとめ
私はずっと、ずっと、夢眠ねむに憧れていた。
彼女のようになりたくて、髪型を真似てみたり、メイクを研究してみたり、カラオケでは歌い方を真似したりした。
そして、彼女の卒業後も時間は流れ、私の生活は続いていった。
2025年、現在。あの頃のように、私は夢眠ねむを超える以上の「推し」を見つけることはできていない。
それでも、胸を張って言えることがある。
確かにあの時。夢眠ねむは、でんぱ組.incは、私の推しだった。
アイドルは、ただ歌って踊るだけの存在ではない。
ライブに行くために日々を頑張ろうと思えたり、新曲を聴いて勇気をもらえたり、グッズを身につけることで自分の「好き」を表現できたりする。
私にとって、夢眠ねむはまさに「人生」そのものだった。そして、彼女から教えてもらった価値観は、ひとつ。
「推しの存在は、人生の幸福度を上げる。」
私は、この価値観を、これからも大切にしていきたいと思う。